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叡知の言葉134

その人の真価を認識したら、わたくしはホメずにはいられないのです。
随って人をホメるということは、その人が人間認識をどれだけしているかということだと
いえましょう。

『坐談抄(二)』

森の人間観は、基本的に性善説といえます。
ですから教育においても、生徒の長所を見つけてホメるという考え方が根底にあります。

それに対して、厳しい校則や体罰で生徒を縛る管理教育は、典型的な性悪説の教育です。
戦後の日本の教育は、程度の差こそあれ、この管理教育が主流でした。

とはいえ、これには弊害もあります。力で抑えられた生徒は、指示されたことしかできなくなります。
また限度を超えた体罰による自殺という悲劇も、後を絶ちません。

このように批判されながらも、性悪説的教育が無くならないのは、子どもの内部にある激しい野性のエネルギー
を、中途半端な性善説では抑えられないからです。

生徒の言い分を単純に受け入れ、信用するだけでは教育は成り立ちません。
甘いだけの教育では、学級崩壊をまねくのがオチです。

性善説的教育を真に実践するには、教師の側にも相当な力量が求められるのです。
例えば、ホメるということ一つとってみても、そうです。

真に相手をホメることは、相手の真価を見抜いてそれを指摘するということです。
単なるおべんちゃらでは、生徒を慢心させるだけです。

もし、ホメようのない相手がいると思えたら、それは自分の眼力の不足だと反省すべきでしょう。
世の中には長所が一つもない人間はいないのですから。

自ら考えて行動できる人間を育てるには、やはり性善説的教育が必要です。
ただそれを実践するには、教師自身が自らの人格を磨き、人間を見る目を養わねばならないのです。

教育の本質は、相手が子どもでも大人でも同じです。
人の上に立つ人間は、このことをよくよく肝に銘じる必要があるでしょう。

作家 宮下隆二