「包装」を通じ、あらゆる産業に貢献します。
>>トップページ  >>>NEWS  >>TOPページ
 ・新商品情報
 ・エンゼルコフィン
 ・ほかんくん
 ・宮下隆二のコラムTOP
 ・津島稜の世相を斬るTOP
 ・News VoL.1〜VoL.20
 ・News VoL.21〜VoL.40
 ・最新のNews一覧
 

叡知の言葉135

「志」とか「大望」という時、そこにはどこか自己中心的な趣があるのに対して、「心願」という時、
そこに見られるのは逆に一種の自己献身の趣です。
「心願」とは、いかなるものに向かって自己を捧げるか、その方向性の希求といえましょう。

『幻の講話』

「心願」とは、森思想を考える上で欠かせない用語です。
その意味は文字通り、心の底からの願い、ですが、それだけでは「志」や「立志」との違いがよく分かりません。

一般的に「志」を立てるのは、少年期か青年期です。
それは人生の目標であり成功ですから、ある程度自己中心的な色彩を帯びるのは、やむを得ないことでしょう。
例えば明治の若者にとって、東京に出て立身出世をすることが「志」でした。

それに対して「心願」を立てるのは、若い時代に限りません。
むしろ壮年になって、人生や世の中についてある程度分かってから、心の底からにじみ出る願いです。

その時点ではすでに、個人の成功をうんぬんする気持ちは薄れて、より大きなもののために自分を捧げたい、
という気持ちが強くなっています。

しかし、どうしていいか分からない。残りの人生を何のために生きればいいのだろうか。
そうした悶々とした悩みの果てに射す一筋の光明、指針。それが心願です。

敗戦後、厳寒の満洲で幾たびも死線をくぐり抜けようやく帰国した森は、戦争に協力したという反省と慚愧の
日々の中で、今後の日本の在り方と自分の生き方を模索します。
そしてそれは、以下のような心願となって結晶しました。

学者にあらず
宗教家にあらず
はたまた教育者にあらず
ただ宿縁に導かれて
国民教育者の友として
この世の生を終えん

もはや解説の必要はないでしょう。味読していただければと思います。

作家 宮下隆二