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叡知の言葉136

道徳教育は大きくわけて二つの部門にわかれる。一つは道徳的判断力を練るということ。
もう一つはしつけである。
しつけとは社会的なきまりに従ってわが身を動かすということであり、
その意味や価値が十分にわからないうちから、「形」として身に付けてゆくものである。
道徳的判断力は、しつけという土台の上におかないと空転してしまって、なかなか実行と結び
付かない。

『真理は現実のただ中にあり』

一般的には価値判断が先にあり、それに従って行動があると考えがちです。
しかし森は逆転の発想で、形(行為)が先で道徳的判断は後だ、と主張しています。

森の言う幼児期のしつけとは、親に呼ばれたら必ず返事をするとか、他人に挨拶ができる、履物をキチンと
揃えられるといったことです。

一見些末な事柄に見えますが、こういった基本的しつけが身に付いていない子どもに、ある程度大きくなって
から道徳を教えようとしても、うまくいかないことが多いそうです。

これは森の経験則ですが、真実を穿っているでしょう。
「礼」には非常に深い意味がありますが、挨拶さえできない子にその説明をしても伝わらないのです。

実は同様のことは、古典教育でもあります。
一時代前の教育では、幼児期に漢文や古文などを大量に暗記させていました。
もちろん、その時点で意味は分かりません。

しかし身体に沁み込んだ名文のリズムは後々まで残り、自分で文章を書く際にも、他人の文章を鑑賞する
際にも、大きな判断基準となったのです。
これが教養の力です。

かなり前のテレビ番組ですが、援助交際を肯定する女子高生と各界の著名人が討論したことがありました。
意外なことに、女子高生の主張をなかなか論破できませんでした。

法律違反だという指摘には、両者合意の交際で売春ではない、と。
もっと自分を大切にしろという助言には、自分の身体だからどう扱おうと自分の勝手だ、という具合です。

結局、道徳とは、理屈以前に身体に沁み込んだ良識感覚なのです。
その基礎となる幼児期のしつけが、意外と今の日本で軽視されているように思えてなりません。

作家 宮下隆二