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叡知の言葉145

凡庸な教師は、児童生徒は一面からは、教師による被教育的客体でありながら、同時に学習
主体であることを、忘れがちとなりやすい。そしてその時児童生徒は、いわば半ば物化される
といってもよい。教師の努力にも拘らず、ともすればその効果が上がらぬ真因は、実はこの点
にあるといってよいであろう。

『全一的教育学』

用語が難解なので、その説明から入ります。
「被教育的客体」とは、受け身的に教育される存在、という意味です。
教師から見た場合、生徒はそう見える、ということです。

その一方、生徒は主体的に学習に取り組む存在でもあります。
目標意識を持ち、自らを向上させることに喜びを感じて取り組む時、勉強でもスポーツでも成果が上がります。

ところが平凡な教師は、ともすればそのことを忘れて一方的に、いわば押し付けるような教育をしがちです。
その時生徒は、教師によって、自らの意志や主体性を奪われる、ということです。

そのことを森は、児童生徒が「半ば物(モノ)化される」と表現しています。
非常に鋭く、本質を突いた言葉だと思います。
教師がどれだけ熱心に教えても、思うような成果が上がらないのは、そういう時です。

これに続けて森は、児童生徒の本質は伸びようとする「いのち」であると述べ、その自ら伸びる力を生かす
ために、教師は生徒の長所を見抜いて積極的にホメるように提唱しています。

『全一的教育学』は森の晩年の著作で、昭和51年に発表されています。
まだ子どもの数が多くて受験戦争が激しく、詰め込み教育の弊害が叫ばれ出していた頃です。

森は戦前の師範学校で教鞭をとっていた人物ですが、戦後の新しい教育の潮流もしっかり捉えていたことが
分かります。いや正確には、教育の本質に時代は関係ない、ということでしょう。

作家 宮下隆二