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叡知の言葉54

思想は、思索者自身の肉体に「座」を持たねばならぬ。
だが、かような自明の真理が、現在、人びとによっていかほど認識されているだろうか。

『学問論ノート』

思想とは書物に書かれたものであり、思想家とか哲学者という人種は、
書斎や研究室にこもって難解な真理の探究に励んでいるという抜きがたいイメージがあります。

マルクスは、「哲学者は世界を色々に解釈するが、大事なのはそれを変革することだ」と言いましたが、
思想が現実世界から遊離して空理空論に堕する懸念は古くからあったということでしょう。

森が深く尊敬した宮沢賢治や二宮尊徳は、独自の巨大な世界観や思想体系を持ちながら、
その身はあくまでも農村等での奉仕活動に生涯を捧げました。
また森自身も、西田幾多郎に学んだ哲学者であったと同時に、教育的実践者でありました。

思想が肉体に「座」を持つという言葉には、そういう背景があります。
頭で学んで得た知識と肉体を行使して得た体験とを統合させることが、
真の思想に必要だということでしょう。
森はこれを別の部分で「思想家自身の生命の主体的深化」と表現しています。

しかし、森にとっては自明なこの真理が、当時の学界にはほとんど理解されませんでした。
そのため森は、思想家として生涯にわたる孤独な戦いを強いられます。

その成果は晩年になって、「全一学」という独自の思想体系として結実しました。
その内容については、これから折々に触れていくことにします。

作家 宮下隆二