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第二話 「大胆なるイノベーション 鴻池新六(1)」

淀屋が取りつぶしにあった後、日本一の豪商となったのは鴻池だった。
幕末には「日本の富の七分は大坂にあり、大坂の富の八分は今橋(鴻池)にあり」とまで言われた。

鴻池は、新選組の後援者としても知られている。
京都の別邸に賊が押し入ったのを、近藤勇らが撃退した事件がきっかけだった。
近藤勇の愛用した名刀虎徹(こてつ)は、第十代鴻池善右衛門が贈ったと言われている。

鴻池の家業は代々両替商だった。いわば現代の銀行である。
ところがそのルーツをさかのぼってみると、初代は造り酒屋として成功を収めている。
そしてその父親はなんと有名な武将なのである。
尼子氏の忠臣、山中鹿之助の名を聞いたことのある人は多いだろう。

さて、では鴻池一族の物語を始めよう。

山陰地方の名族尼子氏が新興の毛利元就に滅ぼされた後も、山中鹿之助はそれに屈せず、尼子一族の
勝久を擁して抵抗を続けていた。

月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったのは、この頃の逸話だ。
お家再興のためには、どんな苦難も耐え忍ぶ決意だった。

折しも織田信長の武将羽柴秀吉が、播磨国に進駐していた。
秀吉は鹿之助を対毛利の先兵にしようと考え、上月城(こうづきじょう)を守らせた。

ところが上月城は毛利の大軍に囲まれ、秀吉もこれを救援することができなかった。
落城後鹿之助は捕虜になったが、毛利方によって謀殺された。生かしておくには、危険すぎる男だったのだ。

父が死んだ時、新六は摂津国伊丹の鴻池村に住む大叔父、山中信直の許にいた。
流浪の身であった鹿之助は、以前から息子を信直に預けていたのだ。

この大叔父はかつては荒木村重に仕えていたが、あることから主君をいさめ、それがいれられずに主家を
去ったという硬骨の人物である。

信直は新六を可愛がり、軍略や武芸などを仕込んだ。
ところがその信直も、新六が十歳の時に没し、その後は大叔母に育てられたが、家計は豊かではなかった。

十五歳になった時、ささやかな元服の式をあげ、幸元(ゆきもと)と名乗った。
だが新六には深く考えるところがあった。

「この名は深く秘し、武士の身分も捨て、これからはこの腕一本で自分の道を切り拓き、天下を取ってみせます」

志こそ大きかったが、頼る者のない少年の身である。
当面は日雇い仕事などをしながら、何とか食いつなぐしかなかった。苦難の日々が続いた。

この頃、丹波国亀山の城普請(しろぶしん)を請け負った工匠(こうしょう)に雇われたことがあった。
現場を見たところ、城に防御上の欠陥があることに気付いたので、新六は直ちにその補強の策を進言した。
城主はそれを喜び多額の恩賞を与えた。

大いに面目をほどこした新六だが、武士を捨てる、という決心に変わりはなかった。
その頃には、これから自分の進む道がおぼろげながら見え始めていた。

それは、酒造業だった。

もともと伊丹には、酒の製造に欠かせない上質の米と水がふんだんにあり、同じ猪名川沿いの池田などと
ともに、酒造りで知られていた。
しかも、交通の要所にあたっていたから、製造した酒を出荷するにも便利だった。

近在の蔵元に雇われて、下仕事から手伝ううちに、徐々に仕事を任されるようになった。
池田、伊丹で造られる酒は上質で、京や大坂でも評判が良かった。

酒造りの技術を習得すれば、世の中に出て勝負できる。
新六はそう考え、熱心に仕事に取り組んだ。やがて独立して、自ら酒造りを始めた。

新六の造る酒は評判が良かった。
だが摂津周辺には競争相手となる蔵元が多く、京、大坂だけでは市場として物足りなかった。

そこで新六は、酒を新興都市江戸に売り込むことを考えた。

天下人であった秀吉の命令で、徳川家康は東海地方から関東に国替えとなった。
家康は江戸を拠点と定め、城を築き始めた。
広々とした武蔵野の一角に突如として槌音が響き、大勢の男たちが生活するようになった。

新六はここに目を付けた。最初は自ら指揮を執り、人力で運んだ。
酒二斗が入る桶二つを一荷(いっか)とし、その上にわらじをくくりつけて、はるばる東海道を下った。

江戸に着くと、裕福そうな門構えの武家の家を一軒一軒訪ね歩き、自ら腰をかがめて酒を売った。

「ほう、これが上方からの下りものの酒か。どれ、一つ味見をするとするか」

当時江戸では、京、大坂から運ばれたぜいたく品のことを、「下りもの」と呼んでいた。
予想にたがわず、新六の酒も評判が良く、数日で荷は空になった。

新六はひそかに自信を深めた。だがそれはまだ、ささやかな一歩に過ぎなかった。
新六が日本酒の歴史に残る発見をするのはこれからである。