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第三話「義を先にし、利を後にせよ 下村彦右衛門(4)」

大坂での成功で勢いに乗った正啓は、翌年にかねてから目を付けていた名古屋に店を出した。
これも「現銀掛け値なし」の店である。

名古屋にはすでに、伏見の山城屋仁右衛門の依頼を受けて売薬店を出していたが、それを人に譲り、
その向かい側の店三軒を買い入れて呉服の卸店を開いた。

この時はじめて正啓は、大丸、という屋号を用いている。
現在でもなじみの、大の字を〇(マル)で囲った商標も、この時定められた。
この商標のマルは世界をあらわし、大は人と一に分解できるから、世界で一番を目指す心意気を表現したもの
だと言われている。

折しも尾張藩主徳川宗春は、八代将軍徳川吉宗の質素倹約令に対抗し、開放的な政策をとっていた。
そのため、名古屋城下はにぎわい、呉服の需要も増大した。

大丸もその流れに乗った。支配人となった大橋弥兵衛の手腕もあって、大いに繁盛した。
同業者からの妨害が激しかったが、それをはねのけ、藩主宗春のご用達をつとめるまでになったのである。

こうして大丸は、大坂、名古屋の二都を制した。だがここで、厄介な問題が大坂店に持ち上がった。
それは八文字屋との共同経営に関することだった。

店が軌道に乗り始めると、八文字屋側の支配人である善兵衛が遊興にふけり、
業務をおろそかにし始めたのが発端だった。

正啓から店を任された弟の正竹は、兄の意を体し、配下の手代や丁稚たちを引き締めていたが、
善兵衛配下の従業員たちが手を抜くことまではどうすることもできなかった。
かといってこのままでは、真面目に働くのは大丸側ばかり、ということになってしまう。

この問題の根は、共同経営というあいまいな形式にあった。
要は問題が生じた時に、どちらが決定権を持っているのかが明確でないのだ。

正啓は熟慮の末に、共同経営の解消を八文字屋に申し入れた。
指揮命令権を一本化しなければ、経営はうまくいかない。これはいつの時代でも同じだ。

もちろん八文字屋側も、利益を出している店の経営権を手放すつもりはなかった。
話し合いの末、一方が他方の持ち分を買い取ることとなり、その金額は入札で決めることになった。
そして落札できなかった方は、大坂で同業は営まないという約束をした。

入札の場所は高津の料理茶屋で、八文字屋側は当主の甚右衛門と弟の善兵衛、
大丸側は正啓と弟の正竹、それに両家の手代が立ち合った。

入札について、正啓に迷いはなかった。大坂店は四都戦略に欠かせない重要拠点だ。
それに現銀掛け値なしの商法は、今後も伸びるという確信があった。
だから必ず勝つために、思い切った高値を付けるつもりだった。

それに対して、八文字屋の腹は、いま一つ煮え切らなかった。
入札には当然勝ちたいと思っていたが、あまりに高値を付けるのはためらわれた。

結果は大丸の勝利だった。ところがいざ敗北してみると、八文字屋は急に店が惜しくなった。

「この入札額にさらに銀五貫目上乗せするから、店の権利をわしに譲ってもらえないか。
お宅には名古屋の店もあって、繁盛しているじゃないか」

「約束は約束です。たとえ百貫目積まれても、お譲りすることはできません」

当然のことながら、正啓はきっぱりと断った。
八文字屋は無念の色をにじませながら、その場は引き下がるしかなかった。

ところがこの問題は、これでは終わらなかったのである。
ある日、伏見にいる正啓の許へ、正竹が血相を変えて駆け込んできた。

「大変です!八文字屋が、うちの真向かいに店を出しました!」

明らかな約束違反に、大丸の関係者はみな激怒したが、正啓だけは泰然としていた。

「放っておきなさい。八文字屋さんの商売は、もう底が知れています。うちが負ける心配はありません」

共同経営の五年の間に、甚右衛門、善兵衛らの経営能力も、従業員たちの質も見切っていた。
八文字屋は、「現銀掛け値なし」のやり方さえ真似れば、簡単に成功できると考えていた。
そこに顧客サービスの質、という観点が抜けていたのだ。

正啓の予言通り、一年も経たないうちに八文字屋の店の経営は行き詰まった。
同じ品質、同じ値段なら、サービスの良い店を顧客が選ぶのは当然だった。

この争いに勝利したことで正啓は、自信を深めた。
いよいよ若き日の目標まであと一歩の所まで登りつめた。後は江戸進出だ。

だがこの時になって彼の胸に、これまでとは違う風が吹き始めていた。
単なる商売上の成功ではなく、より深いなにかを追い求める気持ちである。