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森信三 小伝@

在野の教育者・思想家であった森信三は、なにより実践の人でした。

その生涯は決して平坦なものではありませんでしたが、
                          それゆえに人の心を打つものがあります。

森は、明治29年に愛知県知多郡武豊町に生まれました。
祖父の端山忠左右衛門は、県会議員を16年務め、第1回の国会議員にも当選した地元の名士。
ところが、父親が事業に失敗するなどして、家は零落(れいらく)します。
しかも母親は、そんな父親と折り合いが悪く、生後まもない信三を置いて、
実家に帰ってしまいます。そのため、2歳の時に農家の森家に養子に出されました。
養父母の愛情には恵まれましたが、経済的には苦しい生活でした。

その中で志を高く持ち勉学に励みますが、学費の問題で旧制中学には進めません。
母校の尋常小学校の給仕、代用教員として働き、名古屋第一師範学校に入学します。
当時師範学校は、卒業後教職に就くことを前提として、学費無料の上生活も
ある程度保障されたので、信三のような若者がこぞって志望していたのです。

卒業後は、いったん愛知県横須賀尋常小学校に奉職します。
ですが、学問への熱い思いをどうしても断ち切ることができません。
広島高等師範受験を決意し、地元の篤志家の援助を得て進学します。
そこで、生涯の師西晋一郎と出会い、哲学を志しました。
旧阿倍野高等女学校勤務を経て、京都帝大哲学科に進学しますが、その時すでに26歳。
遅咲きです。

京大では西田幾多郎に師事し、本科で3年、大学院で5年学びました。
これは後に森が、全一学を集大成するための重要な下地となります。
ですが信三は、当時もっともきらびやかだった西洋哲学を、京都学派の総本山で学びながら、
どうしてもそれに満足することができませんでした。

むしろその間、沢木興道、宮崎童安、高田集蔵、伊藤証信ら在野の宗教者と交流をしています。
また新井奧邃(おうすい)という異色の隠者的クリスチャンの著作を読み耽っています。
なかでも特筆すべきは二宮尊徳との出会いでした。
『二宮翁夜話』の「それ我が教えは書籍を尊ばず、ゆえに天地をもって経文とす」という言葉、
つまり、天地が自分の教科書だという壮大な世界観に、大きな衝撃を受けたのです。
信三は悟りました。

真理は現実のただ中にあり、と。

この言葉が、生涯を貫く、森の思想と生き方の根幹となるのです。
作家 宮下隆二