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賢治の生涯@

宮沢賢治は、明治29年(1896年)現在の岩手県花巻市に生まれました。
父親は地元で有名な素封家で、熱心な浄土真宗の信者でした。
一方賢治は、
中学校の時に島地大等の『漢訳妙法蓮華経』を読んで感動し、法華信仰の道を進みました。
良家のお坊ちゃんだった賢治にとって、社会人としての自立という意味でも、信仰の面でも、
この父との葛藤が生涯の重要なテーマとなります。

賢治は旧制盛岡中学を卒業後、盛岡高等農林(現岩手大学農学部)に進学しました。
高等農林時代は、文学への目覚めの時でもありました。
同人誌『アザリア』に多くの短歌を発表し、童話も書き始めています。

本科を卒業後は、研究生として地質調査等に携わり、また同校の実験補助を嘱託されました。
賢治は子供の頃から鉱物採集が趣味で、「石っこ賢さん」という仇名を付けられていました。
後年の童話にも、神秘的な名称の鉱物が数多く登場します。
言うなれば賢治は、理系出身の文学者でした。
このユニークさが、賢治の作品を際立たせることになります。

しかしこの頃の賢治は自己確立をめぐって、悩みの渦中にいました。
研究生や実験補助というのは、中途半端な立場です。
要するに、大学に進学するわけでも社会に出るわけでもなく、家業を継ぐことを期待されているが
それにも身が入らないという状態です。
浮世絵の収集に熱中し、父親に「邪道におちた」と叱責されたのも同じ頃です。
賢治はよほど不本意だったらしく、友人への手紙にそのことを書いています。

研究科を修了したのが24歳の春でした。
同じ年に賢治は、法華経を信仰する日蓮主義の在家仏教団体、国柱会へ入会しています。
この時期が重なったのは偶然でなく、共に自己確立に向けての葛藤と見るべきでしょう。
賢治は周囲に入信を勧め、花巻の町を太鼓を叩き唱題をしながら歩くなど、情熱的に活動をします
とくに父母に対しては、執拗なまでに改宗を迫りますが、聞き入れられませんでした。

思い余った賢治は、とうとう翌年1月、店番の途中で飄然と家を出ました。
持ち物は、本尊と御書の他は、洋傘一本だけ。目指すは東京でした。

作家 宮下隆二