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第一章 わたくしという現象

その1

何と言われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとおった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである

『何と言われても 』

自分とは何か…?
この疑問は、人間なら誰しも一度は突き当たる大きな壁のようなものです。
古来より多くの哲学者や文学者がこの問いに挑んできましたが、
それでもいつの時代も、答を求める若者の苦悩がやむことはありませんでした。
それほど深く、人間存在の本質に根差した問いです。
この問いにどう答えるかによって、その人の人間性が露わになるといっても過言ではありません。

では賢治は、どのように答えたのでしょうか?
第一章では、賢治の作品の中からその答を探っていきます。
ここで紹介した作品は、「詩ノート」と呼ばれる未発表の手稿に記されています。
詩というよりも、断章に近い形です。

しかし、実にみずみずしく、畳みかけるリズム感のある文章です。
「わたくし」とは、「ひかる水玉」であり「つめたい雫」だと宣言した後で、
視点を一転して、
実は自分は、それらを枝いっぱいにのせた「若い山ぐみの木」だ、と種明かしをしています。
このとき賢治は、そのどれかひとつなのではなく、それらすべてであったと思います。
この感覚を理解することが、この作品の鑑賞には欠かせません。

賢治の自己像は、決して固定的なものではなく、あたかも風や雲のように自由自在でした。
そこに、賢治の真骨頂があったと言えます。

作家 宮下隆二