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初めての事件取材

私が新聞記者に採用されたのは昭和49年(1974年)4月だったが、入社試験に合格後、アルバイトとして
見習い記者経験をすすめられた。大学時代はろくに授業にも出ず、さぼりっぱなしで3年間も留年したから
(半年ぐらい、今更のんびりせんでもええわ)と思い、前年の昭和48年(1973年)6月から編集局へ出勤す
ることになった。

その直後の7月3日、山口県光市で、山口県警の捜査員が常習窃盗犯の男の自宅へ事情聴取に訪れた
ところ、男がいきなり猟銃で巡査部長を射殺。逃走した男を追いかけた巡査も射殺された。

男は、そのまま近所の家に侵入しその家の主婦と知人女性を人質にして、付近の山中に逃げ込み、
2日後の同月5日の昼前、捜索に当たっていた捜査員や知人の説得を無視して自ら猟銃で自殺した。

この事件は、発生直後から大阪でも大きく報じられ、男が山中に逃げ込んだという一報が入ると、
大阪社会部から数人が光市へ出動。見習いの私も先輩に連れられて光市の山中へ向かった。
小さな旅館で仮眠し、6日早朝、男の遺体が運ばれてくるとみられる山林の空地へ一人で行かされた。
「犯人の遺体が運ばれて来るのを確認してこい」という指示だった。
その空き地では一台の救急車が待機しており、何の知識も経験もない私が救急車の横で立っていた隊員
に「あの、犯人の死体は運ばれてきたのですか」と無遠慮な質問をすると、隊員は「仏さんは中や。腹に穴
が開いてるから即死じゃろ」と迷惑そうな表情で私を睨んだ。
「仏さん? この中にいるんですか」
私が近づいたとき制服姿の捜査員二人が走ってきて「あんた、ブン屋か。邪魔や」と私を押しのけ隊員とと
もに救急車に乗り込んだ。ドアが閉められたとき、シーツに包まれた男の顔が見えた。

私は、救急車が林の中の道へ向かったのを見送って、待たせてあったタクシーに乗り、持参した無線機で
麓の警察署で待機していた先輩に連絡した。

「あの、仏さんが救急車で運ばれました」

「お前、遺体を見たのか」

「はい。腹に穴が開いてるそうです」

「ふうん。よっしゃ、すぐに戻って来い」

警察署に戻ると、先輩が小声で「ようやった。お前のおかげで夕刊締め切りに間に合うたわ」と珍しく笑顔
を見せてくれた。先輩はさらに小声で「サツはまだ遺体確認と搬送を発表しとらん。他社は知らん。お前
の特ダネや」と原稿用紙に素早く記事を書き始めた。

まだ、一行も原稿を書いたことがなく、締め切り時間の何分前にどのように原稿を送るのかも知らなかった
私は、先輩が警察署の電話機から小さな声で、書いた原稿用紙を読んでいるのを漠然と眺めていただけ
だった。送稿を終えた先輩に「早版と最終版の締め切り時間をしっかり覚えておけ」と教えられたのは
忘れられない。

新聞各社とも大阪本社の早版は近畿地方の都市部、最終版は大阪府下の中心部とされている。
テレビやラジオであれば、情報が入りしだい直ちに放送できるが、新聞はそれができない。
締め切り時間が重要であることをしっかり教えられた、初めての事件取材だった。

作家 津島稜