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新春対局にかける(4)

島村と葉子の対局は序盤を終えて、中盤へさしかかろうとしていたが、北川九段の「正午になりましたの
で、三十分、休憩します」という声で、二人は礼を交わして立ち上がり、葉子は部屋から出て行った。

「島村先生、どうですか。葉子の調子は」
川端理事長が、島村の横に立ち、そう尋ねた。
「しっかりした碁を打たれています」
「形勢は、どうです」
「まだまだ、分かりません」
島村がそう答えると、北川九段が近づいてきて「対局者に話しかけるのは、理事長、あまり感心しませんよ」
と、理事長を諫めた。

休憩が終わって、対局が再開。

葉子は、地に辛い棋風のようで、三隅でほぼ定石通りに打って確定地を持っている。
島村は下辺から中央にかけて厚味を築いているが、盤面は葉子がやや優勢と言えるようだ。

百手を超えたあたりで、島村は少し時間をかけ、形勢を見てみた。
(このまま戦いが無ければ、ヨセの勝負になる)というのが、彼の判断だった。
(中央の地を、どれだけまとめられるか、だな)
島村はそう思って、右辺から伸びている数子の黒石の行く手を阻むように、一間トビを打った。

葉子は小考してから、その白石にツケを打つ。島村はハネで応じた。
葉子もハネ返したのに対して、島村は二段バネ。ここでは、黒は切りを防いでカケツグと彼は予想した。

だが、葉子は切りを入れてきたのである。
島村は直感的に、黒の数子が右辺の黒地から分断されると思った。
黒の薄みをついて、この数子を切り取ると、白の圧勝になる。彼は、念のために読みを入れた。
この一局で初めての長考だ。そして、その結論は白からのつけ越しで、切りが成立すると読みきった。
彼は、とりあえずアタリになっている一子をツグ。

葉子は、島村の長考が意外だったのだろう。
切った白石をアタリにして、中央を大きく荒らすつもりだろうが、その結果がどうなるか、あらためて読んで
いるようだ。数分考えてから、やはり、葉子は中央を荒らす作戦に出た。

島村は再び長考に沈む。彼の脳裏に「負けるなよ」という正岡の言葉が浮かんだ。
ここで、黒石を分断して取り込めば、葉子は投了するに違いない。
(しかし…)と、彼はその切りを決行せずに、中央の荒らしを防ぐような穏やかな一着を打った。
葉子は再び考え込んだ。島村の打った石が緩着に思えているはずだ。
彼女は、さらに白模様を消そうとする。
島村は、小考の後、黒石を分断しようとするノゾキのような石を打つ。
この手を打たなくてもつけ越しが成立するのだが、彼はそうしなかった。

葉子には予想外の手だったのだろう。右手を碁笥から離し、盤面に視線を落とした。島村も盤面を見る。
彼女の視線が盤面を彷徨ったあと、チラリと島村に向けられたのを、彼は視界の片隅で感じ取った。
白石に切られると、大きく持ち込みになると分かったようである。
彼女は、碁笥から黒石をつまみ、その切りに備える地点に手を伸ばしかけたが、動きを止める。
このときだけは、彼女のしなやかな指の動きがぎこちなくなった。
そして、彼女は中央の白模様になおも踏み込んできたのだ。

島村は、葉子が投げ場を求めたのだと思った。
その黒石も含め中央の黒石が数子持ち込みとなってしまう。
彼女は自分を恥じ、落胆し、心の中で泣いているのかもしれない。勝気でプライドの高い性格が窺える。
島村も、葉子の着手が意外だった。
だが、この時点でも彼は切りを断行せず、中央の黒石数子を小さく取り込む作戦に出た。
再び島村の視界の片隅で、葉子の視線が彼に向けられたのが分かる。
彼女は、小さく頭を下げたような気配を見せ、ようやくにして、白からの切りに備え、顔を上げると真っ直ぐな
視線で彼の顔を見た。島村も顔を上げて葉子の視線を受け止めた。
彼の表情は微かに笑みを浮かべたようにも見える。

その後は、互いに慎重な打ち回しが続いた。
ハネツギなど小寄せを丁寧に打ちながらも、島村が何度も熟考を重ねる。
そんな分かりやすいところでの小考の連続は、正岡を始めとする観戦者には不思議に思えたのだろうが、
葉子は盤面に視線を落としたまま、しっかりと応接している。
そのまま終局まで、彼女は視線を上げることはなかった。

「終局です」
北川九段の合図で、島村と葉子はすべての駄目を詰め終えた。
「ふうむ」と、北川九段が島村と葉子の顔を見比べた。
「黒地が五十五目、白地が五十五目、ジゴです」と北川九段。
「ほお」と観戦者全員が嘆声を洩らした。
「ジゴとは、これはこれは、正月早々おめでたい」
自然と拍手が沸き起こる。

葉子は、立ち上がって「有難うございました」と、島村に頭を深く下げた。島村も「こちらこそ」と応じる。

「先生の今日のご指導は、一生忘れません」
そう言った葉子は、晴れ晴れとした笑顔になっている。

川端理事長が「ジゴ、引き分けかいな」と、嬉しそうでもあるが、複雑な表情も垣間見せた。

そのあと参会者全員での立食パーティとなり、しばらくしてから川端一家と北川九段が会場を去ると、
正岡が島村の耳元で囁く。
「さすがに、大したものだなあ。見ごたえのあった一局だったが、ジゴで終わらせるとは。
終盤の君の熟考は目数を数えていたんだな」
「僕にも、いい勉強になりました。しかし、社長、負けませんでしたよ」
「うむ。たしかに」
古来、囲碁の対局でジゴは非常にめでたいものとされている。
正岡は率直に喜んでいるが、島村にとっては細心の注意を払った終盤だったに違いない。
葉子は、対局中に、果たしてジゴになったと気づいていただろうか。

「理事長も、困っているだろうなあ」
「そうでしょうか」
「君のお陰で理事長も、葉子さんも、もう一度真剣に考えると思う。いや、本当に有難う。あらためて君に
惚れ直した」そう言って、正岡はワイングラスを島村に差し出した。

島村はそれを受け取り、この日初めてグラスを口元に運び、見事にワインを飲み干した。
                                                            (了)

作家 津島稜