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鷲爪(わしづめ)の英次(1)

英次(えいじ) が黒塗りのベンツから降ろされたのは、花園神社から少し離れた裏通りだった。
ようやく日が暮れたが、蒸し暑いうえに、鬱陶しい小雨が降り続いている。
新宿界隈のネオンの明るさが、ぼんやり霞むように彼の目に映った。
足元を気にして歩き出そうとすると、
助手席から降りてきた若い組員が、英次の背後から開いた傘を差し出した。

「すぐそこですが、濡れますんで」

英次は、それに応えるわけでもなく、無言で路地の奥へ入って行く。
ものの一、二分で盆栽を玄関に並べたしもた屋風の二階建ての店の前に到着した。
寿司屋の看板を出しているが、客が入っている気配はない。

「どうぞ」と、組員が傘をたたみ、暖簾を開いて格子戸を引いた。
予想通り、店内はカウンターだけで客は一人もいなかった。
絞りの鉢巻をした主人と板前が
「二階で親分がお待ちかねです」と、英次らに片手を伸ばして案内する。
それにも英次は頷いただけで、カウンターの前を通り、二階へ通じる階段を上った。
二階は座敷になっており、襖が開け放たれ、酒と料理を並べた大きな座卓と、奥に古びた屏風と
碁盤が置かれているのが見える。

「おう、先生。早かったな」

座卓の中央に座っていた坊主頭の和服姿の男が英次を迎えた。
この初老の男は指定暴力団の組長で、
若いころから武闘派の最右翼として警視庁からマークされている人物だ。
二人が知り合ってから、まだ一年も経っていない。直接顔を合わせるのも四、五回目だ。

「相手は、あと半時間もすれば来るじゃろ。それまで、先生、景気づけに一杯どうだ」

組長が、英次を手招きし、自分の前に座るように合図した。組長の横には濃い化粧の女が座り、
周りには、英次を案内してきた男を含め、黒いスーツ姿の男が三人立っている。

「まだ、酒は要らん」

英次は、不機嫌そうに、そう言ってから組長の前を素通りして
「勝負の前に、道具を見せてもらいますよ」と、奥の碁盤の前に腰を下ろした。

「そんなに、いい碁盤じゃないぜ」

組長は、無愛想な英次を大して気にもしていないように、傍の女に盃を差し出し、酒を注ぐように顎を
しゃくった。

腰をおろした英次は、しばらく盤面を見たあと、左手でそこに載せられていた二つの碁笥の蓋を開いた。
当たり前だが、碁笥のそれぞれには白石と黒石が入っている。
肉厚ではないにしろ、白石は高級とされるハマグリで、黒石は那智黒だった。
彼は、まず白石の碁笥に左手を突っ込み、ジャラジャラと音をさせながら、いくつかの石を握ったり、
盤面に並べたりする。いったん、スーツの左ポケットからハンカチを取り出して、口元を拭ったあと、
同様に、黒石の碁笥にも左手を入れて同じような動作をしていたが、
今度は、ポケットに突っ込んでいた右手を出して、盤面に黒石を並べだした。
英次の、その右手は薬指と小指が欠損している。
三本の指とはいえ、手つきは慣れているようで、器用に黒石を何度か触ってから、
再び右手をスーツのポケットに戻した。

「碁の勝負に、道具は関係ないじゃろ」組長が、盃をあおりながら、英次に声をかけた。
「まあね」英次は碁笥を元のように碁盤に載せてから、組長の前の座布団に座る。

「なあ、先生。今日の碁は、遊びと違うのは分かっとるな。先月、大阪へ行ったとき、ミナミの極道が、
身内の碁打ちを偉そうに自慢しよるんで、ワシも鼻持ちならんようになってな。
そこで勝負ということに話が決まって、先生を思い出した。おい、先生に酒を注がんか」
組長は、立っていた男に目配せをした。

「そこの組はな、新宿にメイド喫茶を出したいんだ。喫茶と言っても、パンスケが売春するに決まっとる。
じゃが、ワシのシマ内で、そんな商売はさせられん」
若い男が前屈みになって、英次の前の盃に酒を満たした。だが、英次は、それに目もくれない。

「そんなわけでな、今日の碁はワシらの面子がかかっとる。まあ、賭け金は五百万で、
そうべらぼうじゃないが、あいつ等の鼻をへし折ってやりたいんじゃ。勝てば、先生に二百万、
負けたらゼロじゃ。負けたらケジメはつけさせてもらうぜ、先生」
組長は、粘っこく、しかも底光りのする視線を英次に向ける。

「鷲爪と、呼ばれている先生じゃから、負けるとは思っとらんけどな」

組長のその言葉に、英次は「さあね、勝負は分からん」と、目をそらし、卓上の盃に顔を向ける。
そして、右手をポケットから出して、赤黒い三本の指で盃を持ち、酒を飲み干した。

作家 津島稜