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鷲爪(わしづめ)の英次(2)

英次が、右手の指を欠損している理由は、事故のせいではない。
それには文字通り痛い思い出がある。

英次が生まれ育ったのは、九州の北部、博多に近い田舎町だった。
両親はなく、親戚の家で暮らしていたが、中学生のころからケンカや万引きを繰り返し、
学校へもほとんど行ったことがない。
地元の不良連中と暴走族の真似事をしていた夏のある日、祭りの屋台が並ぶ真ん中で、
別の不良グループとケンカになった。英次は何度も殴られたうえに、棒で追い掛け回され、
危うく人ごみの中へ逃げこんで、ひとつの屋台の陰へ隠れた。

「おい、坊主。弱いくせにケンカなんかするな」うずくまっている英次を見下ろしながら、
屋台の(あるじ)の男が薄笑いを浮かべて声をかけてきた。
その屋台は、インチキ詰碁で、囲碁好きの素人客を相手に小額の賭け金を騙し取って儲けている
店だった。

「放っとけや、おっさん」英次はふて腐れて、男に顔を向けない。
「ふん、口だけは達者やな」
胡麻塩頭の男は「ガキ同士のケンカで勝っても一円も儲からんやろ。ケンカやるんやったら、
儲かるケンカをせんかい」と、英次のほうに身体を向け、彼の肩口を掴んで立たせた。
英次は「邪魔したな、おっさん」と、口元の血を手で拭いながら、木の陰へと走り去った。

それが、仙蔵(せんぞう)との出会いだった。
それからひと月ほど経ち、博多の繁華街の裏通りを歩いていた英次に、仙蔵が声をかけてきたのだった。
「おい、ケンカの弱い坊主」英次が、振り向くと仙蔵がニヤリと笑って立っている。
「何じゃ、あのときのおっさんか」英次も仙蔵を覚えていた。
仙蔵は「ガキでも酒ぐらいは飲めるやろ」と英次の肩を押し、安酒場の暖簾をくぐった。

「お前、シノギ(収入源)は何や」
「別に、何もしとらん。カツアゲ(恐喝)と盗みで、金には不自由しとらんわ」
「バカか。不自由しとるから、そんなことしかできんのやないか」
その日以来、英次は仙蔵のもとで暮らすようになった。仙蔵の仕事は、インチキ詰碁である。
その手口はそんなに複雑なものではない。

祭りや縁日で小さな屋台を出し、台の上に碁盤を三面並べ、そこに種類の違う詰碁を作って、
囲碁好きの客を呼び込む。
詰碁は、どれも石数が多く、一見すると攻め合いの手順が難しそうだが、
初段程度の棋力があれば、白石は殺されないように見える。
「さあ、白石が殺せるように詰めることができるか、どうだ。どうだ」
仙蔵は、集まってきた客に向かって、声を張り上げて誘い込む。

「よし、ワシが殺しちゃる」そう言って、客の間から英次が台の前へ進み出て、
考えるふりをしながら、見事に白石を殺してしまうと「兄ちゃん、大したもんやないか」と、
仙蔵が駄菓子とオモチャの入った景品を手渡すのだ。
つまり、英次の役割はサクラである。

「さあ、ほかにも強い人はおらんのか。一回五百円や。どうだ」腕自慢の客が現れると、
仙蔵は「白番と黒番、どっちを持つ?」と客に問いかける。客が黒番を持つと、仙蔵は白番、
逆なら仙蔵の黒番になり、いずれにしても結果は、客が失敗することになるのだ。

もちろんそれには仕掛けがある。

盤面にこしらえてある詰碁は、どれも攻め合い一手差で白石が殺されないように作ってある。
ところが、客が白番を持てば、仙蔵が白石を殺してしまうし。逆なら白石は殺されない。
客が黒番を持てば、何も手を加えなくとも、
例え名人、本因坊であっても白石を殺すことはできないが、問題は客が白番を持った場合だ。
そうなると、仙蔵は盤面の石を整理するふりをして、薬指と小指の間に隠し持った一子で
隅のほうの駄目をひとつ詰めておくのである。そうすれば、一手差で白は必ず殺されてしまう。

碁を知らなかった英次は、その仕組みを理解するのにかなり手間取り、
さらに一子を隠し持つ練習に一年間を費やした。
仙蔵が、英次に教えてくれたのは、それだけではない。

一般に、対局が終わると対局者はアゲハマ(相手から取った石)を相手の陣地に入れたり、
端数がある陣地を数えやすいように整理する。
例えば12目の地であれば、そこに2目(2子)を置くと10目の地になる。
同様に21目の地であれば1目置くことによって20目とする要領だ。

このさい自分の陣地から石を一個取り去ると自陣が1目増え、逆に相手の陣地に石を一個入れて
しまえば、相手の陣地は1目減る勘定で、差し引き2目の差異が生じる。
また、白石と黒石の境界線を少しずらすだけで、その出入りの分だけ目数が変化してしまう。
こんなズルい行為はルール違反で、相手が知れば非難されるうえに、軽蔑されるだろう。

町の碁会所などでは、素人同士の対局が終わると、双方が駄目を詰めて、相手の陣地を整理する。
そこでは整理が終わると「そうか、10目も負けていたのか」とか「1目の差か、惜しいなあ」などと
局面を確かめ合って感想を口にするのは、おなじみの光景だ。
親しい者同士であっても、初対面の相手でも、陣地を整理するさいに、地を誤魔化そうとするような
者は、まずいない。ほとんどの碁会所は賭け碁を禁止しているし、
勝ち負けの判断には、囲碁の愛好者であれば、必ずルールとマナーを守るものだ。
しかし、対局中の形勢判断で、地合(じあい) (それぞれの陣地の広さ)を目算するのは難しい。
さらに、1目単位まで正確に計算できるアマチュアは皆無と言ってもいいだろう。

この地合計算はプロ同士の対局でも、制限時間内に正確にできる棋士は少ないらしい。
とはいっても、プロの地合計算の誤差はせいぜい一、二目程度のもので、
それ以上の誤差のある計算間違いをする棋士はいないだろう。
公式の手合いでは棋譜が記録されるので、地合の確認は100パーセント正確である。
しかし、素人同士では棋譜を取ることはないし、
少々誤魔化しても、あるいは地合の整理で間違っても、互いに気づかないものだ。

仙蔵は、そうしたところに目を着けて、素人相手に賭け碁をして、
何度もインチキで賭け金をせしめていた。
英次も、その手口を教えられたものだが、根っからのバクチ好きの性格と合わせ、囲碁の面白さを
理解するにつれて、仙蔵が予想もできなかったほど棋力が向上していった。
ほとんどが本だけの独学だったが、10年ぐらいで、アマチュアなら6、7段、あるいはそれ以上の
棋力になっていた。

仙蔵は「あのときのガキが、ここまでになるとはなあ」と、すっかり白髪になった頭を撫でて、
何度となく感心していたが、ある晩、小倉の町で、インチキ詰碁の賭け金を巡って地元のチンピラと
ケンカになった。
そのもみ合いの最中、小突かれた拍子で道路に倒れたとき、運悪く走ってきたトラックに轢かれ、
あっけなく死んでしまったのである。

その日、英次は別の町にいた。
不動産会社の社長との賭け碁で、かなりの金額を手にしていたので、
夜更けまでクラブで遊び、ホステスを誘い出してホテルに泊まっていたのだった。
翌日になって、仙蔵の死を知っても大して悲しみもせず、
その後もインチキ詰碁や賭け碁で暮らしを続けていた。

作家 津島稜