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鷲爪(わしづめ)の英次(3)

その翌年の早春、由布院の温泉宿で、博多の有力暴力団同士の抗争事件が一段落した名目での
花札賭博と、英次の親しい組長が好きな碁会が催された。

花札賭博は一応平穏に終わって、夕方からそれぞれの組から代表が出て、賭け碁が行われた。
対局者は、英次と「黒丸」という仇名で呼ばれる小太りの中年男だ。
黒番があたった英次は、序盤の小さなミスが響いて、やや劣勢のまま終盤を迎えた。
彼の目算では1、2目ぐらい黒地が足りない。微細な攻防が続いたあと、終局となり、互いに相手の
地の整理を始め、英次の手が白地に伸びたそのとき、突然「黒丸」の手が彼の右手を掴んだ。

「兄ちゃん、汚い手やな」
「黒丸」は強い力で英次の閉じられた右手を離さない。
「どうしたんや」と、双方の組長が声を出す。
「兄ちゃん、手を開いてみな」
「黒丸」は、ドスの利いた低い声だ。
観念した英次が右手を開くと、そこに白石が3子隠し持たれていた。
「これは、何や、兄ちゃん」
英次は無言のままだ。
「この白石3個を白地に入れようとしたんやろうが、俺の目が誤魔化せると思うたんか、このボケが」
と「黒丸」が怒鳴り声を上げた。

たしかに「黒丸」の言うとおりだった。
英次は、隠し持った白石を白地に混ぜてしまおうとしたのである。
これには双方の組長の表情が一変し、
とくに英次の親しい組長は「何をさらすんじゃ。ワシの顔を潰したなっ」と激怒した。
相手の組長も「どうするんや、ええ、この落としまえは」と、かさにかかってくる。
「おい、板前から出刃包丁を取って来い」と、
若い組員のひとりが命じられて部屋から走り出て行った。
英次は双方の組員たちに取り押さえられて、右手を座布団の上に置かされた。
「こいつの右手の指を端から二本、落とせ」そのあとのことは、英次にはほとんど記憶がない。
おそらく激痛で失神してしまったのだろう。
ただ、出刃包丁の刃が薬指と小指の上にあてられ、その直後、骨が切断されたときの「グキッ」という
鈍い音は今でも彼の耳の奥に残っている。
(あれから十年以上になるのか…)

「おい、先生。相手が来たようじゃ」ぼんやりと右手の三本指を見ていた英次に、組長が声をかけた。
数人の黒いスーツ姿の男たちが、階段を上ってきて、
先頭のやや年配の男が「おう、久しぶりやのう」と、組長の横に腰を下ろす。
それに続いて、若い男がその横に座ったが、ほかの男たちは立ったままだ。
「会長も達者そうじゃ」組長は、横の女に酌をするよう命じた。
女は座った二人の前の盃に銚子を差し出し、ゆっくりと酒を注いだ。
会長と呼ばれた男は「東京もジメジメしとるなあ。今年の夏は、猛暑になるらしいで」などと
世間話をしたあと「この男が、俺の代打ちや」と、傍らの若い男を組長に紹介した。

「辰男です。よろしく」その男は、名前を名乗って小さく頭を下げた。
「そちらさんが、代打ちかいな」
会長が、英次の顔を無遠慮に覗き込むと「そうだ、英次じゃ」と、組長が頷く。

「俺は、英次さんの噂を何べんか聞いたことがありますわ」
辰男が陰険そうな細い目を英次に向けた。

英次は、辰男の顔をどこかで見たような気もしたが、はっきりした記憶はない。
しかし、暴力団の代打ちをするぐらいだから、棋力はかなりのものなのだろう。
おそらく院生崩れか、プロ棋士に指導を受けていたに違いない。

「ほな、親分、早速、碁をしまひょうや。辰男、用意をせえ」
会長にそう言われて、辰男は腰を上げ、碁盤の前に座った。

英次も立ち上がり、碁盤に向かおうとすると、
会長が「あのなあ、あんたはかなり強いらしいな。辰男は、見ての通り、まだ若い。
辰男に黒を持たせたってくれや。まあ、6目のコミはきついから3目でどうや。
もしも持碁(ジゴ)になったら、白の勝ちでええ」と声を出した。

「何じゃと」と訝しげな顔になった組長を制し、英次は「ふん、おねだりか」と鼻で笑ってから
「俺は、それでも構わん」と無表情のまま碁盤の前に座った。

英次の棋力はプロ棋士と互角、相手によってはそれ以上のものになっている。
だが、四十歳を越えたこともあり、彼はプロ棋士になることを考えたこともない。

辰男は第一着を星に打ち、英次は左手で白石をつまみ、小目に構える。
以後、速いペースで着手が進んだ。予想通り、辰男はかなり強い。
互いに厳しい攻め合いの碁となり、一進一退、互角の形勢で局面が進んで行く。
英次は着手が早いほうだが、辰男もほとんど長考をしない。
ともに大石が死ぬことはなく、ヨセの段階に入った。

盤側の親分らには、どちらが優勢か分からないだろう。
しかし、英次は、盤面で4、5目、おそらく4目だろうが、黒の地が多いと計算していた。
このままでは3目のコミを引いても、黒の1目勝ちになってしまう。
果たして、辰男はそこまで正確に計算しているだろうか。

作家 津島稜