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鷲爪(わしづめ)の英次(4)

英次は、隅のヨセでわざと(こう)をしかけた。
そこは劫にしなくても普通に守っておけば、損をしないところだ。
英次がこの劫に負ければ2目の損となる。
辰男がチラリと英次の顔を窺ったのは彼の失着だと思ったからだろう。

案の定、長い劫争いが続いた。
劫は互いに1子ずつ打ち抜いていくから、それぞれの碁笥の蓋には石が溜っていく。
辰男がこの劫争いに負けても盤面で1目の優位は変わらない。
彼は、この碁を勝ち切ったと思っているはずだ。
十数回の劫争いが英次の勝ちで収まり、終局を迎えた。
英次は劫に勝っても地は増えていないし、辰男の地も減っていない。

交互に駄目を詰め終え、地の整理が始まった。
英次も辰男の眼も相手の手と指の動きを注意深く追う。
互いの手を交錯させないのは、碁の礼儀でもあるが、インチキや間違いを防ぐためでもある。

辰男が、碁笥の蓋に手を伸ばし、うず高いほどに盛られた白石を持ち、ひとつずつ順に白地を
埋めていく。英次は、右のポケットからハンカチを出し、三本指で鼻の周囲を拭いながらじっと
辰男の手の動きを見ている。

辰男が、白地、つまり英次の陣地の整理を終え「24目ですね」と薄笑いを浮かべた。

それに頷いて英次が自分の碁笥の蓋に三本指を伸ばし、
同じように、そして器用に多くの黒石を掴み、ゆっくりと黒地を埋めていく。
辰男も、その手の動きを注視していたが、英次の持っている黒石がほとんど無くなりかけたとき、
驚いたような表情になった。

「26目だな」英次が面白くもなさそうな顔で、そう言った。

「何やて。そんなはずはないやろっ」辰男が金切り声をあげた。
盤面では、辰男の黒地のほうが2目多いが、3目のコミがあるため、勝負は英次の1目勝ちになる。

「俺が勝ってたぞ。おかしい、あんた、インチキをしたのとちゃうか」
辰男は中腰になり、盤面を凝視する。

「何だと」辰男の大声に、英次が低い声で睨み返した。
「どないしたんや」横で地の整理を見届けていた会長が辰男を見る。
「そやかて、俺が1、2目勝ってたんや、会長」辰男が訴えるように会長に両手を振った。
「いい加減にしろ。俺がインチキしただと。こら、坊主、タダではすまさんぞ」
英次は、辰男と会長を睨みつける。
「どういうことや」組長も血相を変えて三人に怒声を放った。立っていた男たちが一斉に碁盤を囲む。

「坊主、俺が何のインチキをしたのか、言ってみろ」
英次は、右手をポケットから出し三本指を辰男の眼前に突き出した。
「それは…」と、辰男は悔しそうに言葉を呑んだ。
「親分、それと会長さん、あんた方もこの碁を見ていただろが。おかしいところがあったか」
英次は凄みをきかした声で、周囲を見回した。全員が黙ったままである。
「よっしゃ、辰男、お前の負けや。親分、こいつはまだガキで行儀を知らん。
ワシも最初から最後まで碁を見とった。しょうむないことを言うて申し訳おまへん」
会長は、苦虫を噛み潰したような表情で組長に頭を下げ、
立っていた組員に合図して、バッグから現金五百万円の札束を差し出した。

「くだらねえアヤをつけるなよ、若いの。勝負は勝負だ」組長は不機嫌そうに辰男を見てから、
自分の配下の男に五百万円を受け取らせた。会長と辰男らが座敷から出て行くと、
組長は「さすがだな、先生」と機嫌を戻して、英次の盃に酒を注いだ。
「で、実際のところはどうなんだ、先生。ちょいとは細工をしたのか」組長も半信半疑のようである。
「見てのとおりだよ」英次は、無愛想に組長から二百万円を受け取ると腰をあげた。
外へ出ると、小雨が降り続いている。
「車でお送りしましょうか」
この店へ案内した若い組員が傘を差し出そうとするのを断って、英次はひとりで路地を歩き出した。

濡れたまま花園神社の横を抜け、新宿の繁華街の外れまで来たとき、英次は左右のポケットから
数個の碁石を取り出し、コンビニのゴミ箱にそれを投げ入れた。
実は、英次はこの日もインチキをしていた。

対局前に、碁盤と碁石を触っていたとき、ハンカチを取り出す仕草を利用して、
上着の左のポケットに白石を4個、右ポケットにも4個の黒石を隠し入れた。
辰男と地の整理をするさい、右手でハンカチを使ったのは、碁笥の蓋に載っている黒石に、
ポケットから取り出した黒石4個のうち3個をその中に混ぜるためだったのである。
碁笥の蓋に載っているアゲハマが少なければ、石が多過ぎるのがバレてしまうので、
無用の劫をしかけ、アゲハマが20目ほど溜まるようにするためだった。
そうすれば、数個の石の増減があっても、それに気づく者はまずいない。
対局者は、地を整理する作業で、相手の手の動きは慎重に見守るが、
碁笥の石には注意を払わないところに眼をつけたインチキだった。

英次は、辰男との対局が終了した直後、右のポケットから黒石3個を隠し持ち、碁笥に手を伸ばした
タイミングで3個の黒石をアゲハマに混ぜ入れた。その行為を辰男は気づかなかったのだ。

こんなことをしなくても、ルールどおりに碁に勝てば問題はなかったのだが、
英次は、どの程度実力のある相手だか分からなかったので、
念のためにインチキの準備をしていたのである。

「ふん、若造が。ざまあ見やがれ」
そう呟いた英次は、仙蔵と知り合ったとき「坊主」と言われたのを思い出し、
自分も辰男に「坊主」と言ったことに気づいて苦笑いをした。

辰男が自分のように指を詰めさせられているのか、どうかは興味がない。

新宿の繁華街に近づいた薄暗い通りで、
街娼が「お兄さん」と、日本語ではない訛りで声をかけてきた。
英次が「何だい」と右手を女の顔の前に差し出すと、女は「う」と眼を瞠って歩み去った。

雨空の下で「もうすぐ夏か」と英次が呟く。

その夏が過ぎ、秋、冬と季節が巡っても、自分がインチキ碁でメシを食っていくしかないことを、
英次は微かに脳裏で感じとっている。
                                                        (了)

作家 津島稜