「包装」を通じ、あらゆる産業に貢献します。
>>トップページ  >>>NEWS  >>短編小説TOPページ
 ・新商品情報
 ・エンゼルコフィン
 ・ほかんくん
 ・宮下隆二のコラムTOP
 ・津島稜の世相を斬るTOP
 ・最新のNews一覧
 

黄色のカポック(1)

まだ肌寒い三月の初め、阪神電車の尼崎駅裏のスナック「イエローキャブ」で、
大和田秀博はマスター相手に水割りを飲んでいた。
カウンターだけの狭い店で、開店したばかりの時間だったためか秀博のほかに客はいない。
マスターは数年前までタクシーの運転手をしていたとかで、店名もそれに因んだという。

「秀さん、最近の成績はどうや。今年は昇段できそうか」
マスターはあまり元気そうでない秀博の顔を覗き込んだ。

「この春の成績しだいだな。連勝が条件で、ちょっと厳しいけど」
秀博は苦笑いを浮かべる。
彼は関西棋院所属のプロ棋士で三段。
二十五歳という年齢を考えると、昇段のスピードは決して速いとはいえない。

「どうも集中力が続かないのが僕の欠点だ。それはよくわかっているんだけどなあ」
秀博は俯き加減になってグラスに視線をやる。
「勝負師に弱気は禁物や。さ、ぐっと飲み」
マスターが、秀博の前のグラスにウィスキーを注ぎ足したとき、入口のドアが開いて、若い女性の二人連れ
が店に入ってきた。

「おう、ゆかりちゃん、久しぶりやな。その別嬪さんはお友だちか」
「そうよ、マスター。彼女、去年にデビューしたばかりだけど、なかなか強いの。もうすぐ私のライバルになる
わ」ゆかりは友人の女性にカウンターに座るように勧め、自分は秀博の席からひとつ離れたスツールに
腰を下ろした。

秀博が隣のゆかりを見るのと、彼女が顔を向けたのが同時で、そして二人は「あれっ」と小さく声を出して
互いに驚いた。顔見知りではないが、二人ともよく似た黄色いセーターを着ていたからである。
マスターも黄色のベストを身に着けていたから、黄色を身にまとった人間が三人揃ったことになる。

「こりゃ、おもろいわ。イエローキャブがイエローづくしになった」
マスターは上機嫌になり「これはワシの奢りや」とワイングラスを三つカウンターに並べ「こいつァ春から
縁起が良さそうや」と芝居じみた仕草で、三人の前に赤ワインを満たしたグラスを差し出した。

「あら、マスター、ありがとう。それにこちらの方にもお礼を言わなくちゃ。黄色のセーターを着ていたから
だもんね」ゆかりが秀博に笑顔を見せ、秀博も「いや、こちらこそ」と笑顔を返した。

「秀さん、ゆかりさんはな、女子レーサーやねん。レーサーいうても車やオートバイと違うで。ボートレース、
水上の格闘技ちゅうやっちゃ」

「ボートレース?」怪訝な顔をする秀博を見て、
ゆかりが「もう、マスター。それは内緒にしているのに」と、口を尖らせた。

「すまん、すまん。秀さん、今のは聞かんかったことにしてくれ」
「もう遅いわよ」と、ゆかりはマスターを睨みつける。

「ボートレースってよく知らないけど、その、ゆかりさん、はその選手なの?」
秀博は、あらためてゆかりの顔を見た。
ショートカットの髪を濃い茶色に染めているが、不自然な感じのしないチャーミングな顔だ。
座っているからよく分からないが、小柄で、涼しげな目は意志が強そうに見える。
それは別としても魅力的な若い女性である。

「初めまして、というのも可笑しいけど、あなた、秀さん。ボートは全然知らないの?」
ゆかりは素直な言葉遣いで秀博に視線を返した。
「うん。知らない」
それを聞いたマスターが「ゆかりちゃん、この男は、ギャンブルをせんのや」と笑い「あのな、秀さん。
ボートレースちゅうたら競艇や。尼崎のボートレース場は有名やで。
ここから電車で二つ目の駅前に大きなレース場があるやろ」と、秀博に説明した。

「ああ、それは知っている。電車の窓から見えるもんね。宣伝ポスターは見るけど、行ったことがないなあ」

秀博が申し訳なさそうにゆかりを見て頭を掻くと、彼女は「そのほうがいいかもね。あまりのめり込むと、
とんでもないことになるわよ。
競馬もそうだけど、それに秀さんはギャンブルに強そうに見えないわ。ねえマスター」と、
軽い調子でワイングラスを口元にあてた。

作家 津島稜