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首相の第一着(3)

(首相と友人の俺が抜かれたら、示しがつかんわ)
才藤は、この数週間、この言葉を胸の中で何度も呟いていた。
手紙の返事も、連絡もないままでイライラしていた矢先の、首相からの電話だった。
首を長くして、長くして待っていたものだから、正直なところ、嬉しくて仕方がない。

日が暮れるのを待ちかねて、才藤は指定された赤坂の料亭の暖簾をくぐり、仲居の案内で奥の座敷へ
通された。こぢんまりとした部屋で、床の間に三日月と雲を描いた軸がかけられてあり、無造作にススキを
差し入れた青磁の花瓶がその前に置かれている。

首相はまだ到着しておらず、才藤は大きな座卓の下座に腰をおろした。
背後は縁側になっており、開け放たれたガラス戸の向こうに前栽のような小さな庭が広がっている。
座敷からの明かりで、黄色く色づいた喬木が二、三本並んでいるのが見えた。

熱い緑茶とおしぼりを運んできた仲居が、襖を開けて合図をすると、仲居がもうひとり姿を見せて座敷の
隅の小さな屏風を動かした。その陰に碁盤が置かれてある。
仲居は二人がかりで碁盤を持ち、座卓の横へ置いた。

仲居が頭を下げて姿を消すと、才藤は腰をおろしたまま、その碁盤に目を遣った。
厚さ五、六寸はある立派な碁盤である。
盤面は柾目が通っており、盤側は螺鈿か象嵌細工のような贅沢なこしらえになっている。
おそらく由緒ある高価なものなのだろう。
(俺と、一局打つつもりなのか。それにしても、総理大臣になると道具まで大そうになるな)

才藤は、薄っぺらい折りたたみ式の盤で一時間に何局もザル碁を打っていたころを思い出し、自然と笑み
を洩らす。

「やあ、やあ、お待たせ」襖が開けられると麻江首相が姿を現した。

同時に仲居が何人も座敷に入ってきて、ビールや酒、料理などを手際よく並べる。
首相は、おしぼりで顔を拭きながら「サイちゃん、相変わらず忙しいんだろうな」と、独特の人なつっこい
笑顔を見せた。

「お陰さまで、と言うより総理のお陰で休む間もありません」才藤が半分皮肉をこめて頷き返すと、
首相は「お互いさまだろ」と柳に風といった表情である。

料理がひと通り並べられ仲居たちが座敷から出て行くと、
才藤は「電話を有難うございました。公衆電話からだったんで驚きましたよ」と、
ビールを首相のグラスに注いだ。

「最近は携帯電話を持ち歩かないんでね。たまたま電話ボックスを見つけたんで、かけてみたんだ」
首相も才藤のグラスにビールを注ぎ返した。

「それより、総理。早速ですが、解散の…」と、才藤が話を切り出そうとすると、首相は妙に鋭い視線になり、
口元に人差し指を立てた。滅多に人に見せることのない、諫めるような表情になっている。

才藤は「監視されている」という公安担当のベテラン記者の言葉を思い出した。
こうした密会の席でも盗聴されたり、隠しカメラでも設置されているというのだろうか。

才藤は(まさか、そこまで)と思いながら、ビールグラスを空けた。
そう思いながらも、首相という仕事は、こんな馬鹿げたことにも神経を使わなければならないのかと、
気の毒にさえなってくる。

「サイちゃん。一局やろうか」
首相は、腰を上げ、碁盤の前に座った。

「はあ」と才藤も腰を上げ、碁盤の前に腰を下ろす。
二人の棋力はアマチュアでは、まずまず強いほうだろう。
才藤は、首相に対してずっと黒番を持たされている。
それでもやや分が悪いのだが、二子を置くのは悔しいので、定先という手合いで自分を納得させて、
黒石の入った碁笥を膝の横に置いた。首相は笑みを浮かべながら、白石の入った碁笥を手元に引き寄せ
「少しは腕を上げたのかな、サイちゃん」と機嫌のよさそうな表情を見せる。

才藤は、のんびり碁を打つよりも政局の話をしたい。
せっかくの時間を無駄にしたくない彼の心中を首相も十分承知しているはずなのに、
これでは何のために二人きりになったのか分からない。

碁笥の蓋を開けた総理の顔を見て、才藤は「総理、その前に」と真面目な顔つきになる。
「まあ、まあ、その話は碁が終わってからにしよう」
首相は、相変わらず口元を緩めたまま、才藤に頷いた。
(やれやれ、友達甲斐のない…)
才藤は、仕方なく碁笥に手を入れ、黒石を指先でつまんだ。

作家 津島稜