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死刑囚の棋譜(3)

「うむ」と頷いて会長は原松について説明を始めた。
それによると、原松は十数年前、堺市北部の大和川に近い民家で起きた放火殺人事件の犯人として
逮捕された。被害者は親子三人で、出火直前にその家から出てきた目撃証言が決め手となった。
原松は、被害家族と遠い親戚関係にあり、かなりの借金もあった。
逮捕後も原松は一貫して否認を続けていたが、判決は求刑通り死刑。
控訴審、上告審も一審を支持し死刑が確定した。
しかし原松は未だに無実を訴え、再審請求を続けているという。

「私は、その当時、死刑廃止論者で作る研究会に所属していてね、この事件の応援に駆り出された。
原松と何度か面会したよ。直接の物的証拠がなく、自供もしていない。しかし出火前にその家にいたことや
借金をしていたことは法廷でも認めている。有罪は難しいのではないかと思ったが」
会長はやや表情を曇らせ、タバコを取り出してゆっくりと煙を吐く。

「放火したとされているが、失火の可能性もある。家族は二階で寝ていた。一階の台所が火元で、現場検証
ではタバコの灰皿付近が最もよく燃えていた」
「はあ」美紀には理解できない話が続く。
「被害者の父親も、原松もタバコを吸う。家族が二階に上がった後、屋内に侵入して台所で灯油に火を
つけたというのが警察と検察の見方だった。それと目撃証言で裁判所は有罪と判断した」
「はあ」
「原松は、拘置後、私に面会を求めてきた。弁護団の中で、私には気を許したのだろう。会って話を聞いて
やったよ。何で、あの日の夜、現場へ行ったのかと聞くと、面白いことを言ったなあ」
「どんなことですか」
「川べりで月を見たかったと言うんだ」
「へえ」
「たしか当日は満月で、私も事務所からの帰りに夜空を見上げたことを覚えている」
「人を殺害したあと、お月見をするなんて、おかしいですね」
「そうだな」そう言って会長はしばらく黙っていたが
「おう、そうだ。美紀さん、明日は忙しいのか」と美紀に問いかけた。

「明日ですか。手合いの予定もありませんので、一応暇です」
「そうか。実は明日、法務省から担当者が拘置所を視察に来る。私も顔を出すんだが、美紀さん、一度、
拘置所を見学してみるか。こんな機会は滅多にないだろうし。一般の人の見学は極めて難しいけど、
私の秘書ということで同行を申請しておくよ」
「え、拘置所をですか」
美紀は驚いたが、好奇心も手伝ってその誘いを受けることにした。

翌日、美紀は田中会長に同行して都島の拘置所の中に入った。
拘置所は、広い敷地に古い公団住宅のような建物が並ぶ外観で、予想外に静かだった。
美紀は所長室で形式的な挨拶と注意事項の説明を受け、法務省から来たというスーツ姿の男たちとともに
所内を歩き回った。田中会長は、所長と一緒に少し離れてついてくる。

広い通路は薄暗かったが、リノリウムの床は綺麗に磨かれ塵ひとつ落ちていない。
両側に鉄製の枠が嵌められた狭い房が並んであり、それぞれに未決囚が収容されている。
美紀らが歩く微かな足音以外は何の音もせず、囚人たちの声も聞こえない。

美紀は恐るおそる各房を横目で窺って(動物園の檻みたい)と思ったが、さすがにそれは不謹慎な気がして
視線を伏せて歩くことにした。

三十分近く歩き回っただろうか、案内の刑務官が「今から執行室に入ります」と言って、廊下の端のドアを
開けた。その向こうは地下へ降りる階段になっている。

狭い階段を何度か昇り降りし、最初に通されたのは準備室のような部屋だった。
美紀の隣へ田中会長が肩を並べ「死刑を執行するところだ」と囁いた。

「死刑囚はここで最後のお祈りをします」
刑務官が抑揚のない声で説明をして横の壁際を掌で示した。
聞けば、死刑囚の宗旨によって僧侶か牧師が最後の祈りを捧げるという。

壁面に極彩色で、大きな阿弥陀如来を描いたボードが嵌め込まれてある。
横長で畳一畳ぐらいはありそうだ。

「囚人がキリスト教徒であれば」と言って刑務官が、その阿弥陀如来像の横に立つ。
彼が留め金のようなものを外して端を押すと、ボードがクルリと裏返った。
何と、そこに現れたのはキリスト像だった。

その、ひと昔前のからくり絵のような仕掛けに美紀は衝撃を受けた。
犯した罪はともかく、粛然と死に臨む人間に対して非礼な気がしたからである。
おそらく囚人はそんな仕掛けを知らずに死んでいくのだろう。

その部屋の奥が刑場で、木製の床の中央部分が下に開く仕組みや、滑車で吊るされた絞首用のロープ
などの説明を、美紀はほとんど聞いていない。

「美紀さん、顔色が悪いぞ」
会長にそう言われるまで、美紀は茫然自失状態だった。

作家 津島稜