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白いラブレター(3)

中学時代に、修介は囲碁に興味を持つようになった。
左官職人でありながら、父親は滅多に仕事をしないため、ゲームはもちろん、本を買うことも自由に
ならなかったが、同じ長屋の老人から囲碁雑誌や詰碁の古い本を貰ったのがきっかけで、
その魅力に取り憑かれたようだ。

「俺は、プロ棋士になるねん」高校受験を直前に控えたある日、修介はそう言った。
それまで自分のことを「僕」と言っていたのに「俺」と言ったので、
急に大人びた感じがしたものだった。

「プロ棋士?」
「そうや。強くなったらぎょうさん賞金が貰えるんや」
「へえ。そやけど、強い人は何ぼでもいたはるやろに」
「そうかも知れん。けどなあ、もう決めたんや。
幸ちゃんのくれた、あの皿の『努力』という言葉を忘れんように頑張るぞ」
「ふうん」
幸子はプロ棋士の生活がどんなものか全く知らない。
しかし、真剣な修介の視線に眩しいものを感じたことを覚えている。

修介は、学力も優秀で府立高校へ進学したが、授業よりも囲碁に熱中し、プロ棋士の弟子になって
しまった。それと同時に長屋の家を出て、京都市の南部、伏見区にアパートを借りて、
アルバイトをしながら一人暮らしを始めたのである。

それ以来、修介と会う機会はほとんど無くなった。
幸子が高校へ入学して間もなく、母親も病死してしまった。
彼女は、民生委員らの援助のおかげで高校を卒業し、木屋町にある和菓子店に就職することが
できた。彼女も長屋を引き払い、この高台寺のふもとにあるアパートへ入居したのだった。
この場所を選んだのは、修介との思い出が残っているからにほかならない。今年で五年目になる。

修介は、携帯電話も持っていなかったので、なかなか連絡が取れなかった。
年賀状も来たり来なかったりで、幸子は彼の生活ぶりが気になっていたところへ、
三年前の秋の休日、河原町通りを歩いていて、またもや偶然に二人が出会ったのだ。

「幸ちゃん、元気か」

賑やかな通りを行き交う人ごみの中で、背後から声をかけられて、幸子は立ちすくんだ。
修介の声とすぐに分かったが、自分がどんな顔をしているのだろうと思うと恥ずかしくなり、
すぐに振り返れなかったのだ。

「何や、怖い顔をして」
前に回ってきた修介が、まじまじと幸子の顔を覗き込む。
「もう、びっくりしたやないの」
幸子は、嬉しさを隠して、つっけんどんな言い方をした。
「久しぶりやなあ。コーヒーでも飲もう」
修介は、気にしている様子もなく、すぐ近くの喫茶店に入って行った。

「どこかへ行くとこやったんか」
運ばれてきたコーヒーカップを撫で回しながら、修介は屈託のない口ぶりで、幸子を見る。
「ううん、いろんなお店を見に来ただけ。修ちゃんは」
「俺か。寺町(てらまち)でパソコンを見てきたんや」
「パソコン?」
「うん」
そう言って、修介はコーヒーに口をつけ、窓の外に目を遣った。

河原町通りから少し西になる寺町界隈は、大型の電器量販店が集まっている。
東京の秋葉原や大阪の日本橋ほどではないが、安い家電製品のほか最先端の電子部品などを
揃えているため、マニアっぽい客にも人気がある街だ。

「パソコンが欲しいの?」
「まあな」
修介は、バツが悪いときに見せる癖の、人差し指で鼻を掻く仕草をしている。
それから、ふと神経質そうな視線を空中に彷徨わせ「碁の研究や練習対局で大阪の棋院へ通って
いるんやけど、電車賃が高つくし、師匠の家のパソコンは、勝手に使われへんしな」と言ってから、
コーヒーカップに口をつけた。
もう、コーヒーは冷めかかっているだろう。
「パソコンで、勉強するの」
「そや。インターネットでな。それでな、バイトの金を貯めてんねん。そやけど、俺の欲しいパソコンは
、色んな設定したり、電話の回線を引いたりしたら二十五万円ほどかかる」
「二十五万円も」
「うん。そやけど、何とか十二、三万は貯めた。あと三、四ヶ月の辛抱や」
修介は、そう言ってから「幸ちゃんと、また会いたいな。そや、高台寺へ行こか。
近いし、そろそろ、紅葉が綺麗や」と、子どものころから幸子がよく知っている笑顔に戻った。
「私も行ってみたい。あのお寺が好きやから、今のアパートへ入ったんやもの」
幸子も嬉しくなって頷く。

「そうか。そう言うたら、幸ちゃんの家は高台寺の近くやったな」

まさか、中学時代に、幸子と一緒に甘酒を飲んだり、楽焼を作ったことを忘れてはしないだろうが、
修介のこんな言いかたに、彼女はちょっと寂しくなった。
「修ちゃん、高台寺って、誰が建てたお寺か知ってる」
「えーと、誰やったかな」
「ねね(北の政所=豊臣秀吉の正室)やんか」
「あ、そうか。よし、俺も秀吉みたいに天下を取ったるぞ」
また、そんな夢みたいなことを。それより、次の日曜日、高台寺で待ち合わせせえへん?」
「日曜日か。うん、大阪へ行ってるけど、夕方からやったらかめへん」
幸子は、すっかり冷めてしまったコーヒーに少しだけ口をつけて「きっとやで」と修介の顔を見た。
「よっしゃ。幸ちゃんも忘れたらあかんで」
修介は、美味しくもないはずのコーヒーを飲み干した。

作家 津島稜