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白いラブレター(4)

次の日曜日の夕方、幸子と修介は、高台寺の山門の前で落ち合った。

「幸ちゃん、寒ないか」

薄いセーターだけの修介にそう言われて、幸子は胸が熱くなった。
彼女は、古いけれども厚手のセーターと安物のマフラーを首に巻いていたのに、
彼は彼女を気遣ってくれている。
その彼の気持ちが、小学生のころの鴨川の河原の記憶と重なったからである。

「幸ちゃん、高台寺の紅葉もええけど、それより、ぬくいもんを食べに行こ。そやな、湯豆腐がええ」
修介は、幸子の手を持って歩き出そうとした。

突然、修介に手を握られて、幸子は戸惑った。
何年間も、というより、彼に手を握られたのは、子ども時代を除けば初めてのことだ。
「修ちゃん。私、今日はもう帰る。用事があるし」
「何や。急に」
修介は手を離して、不審そうに幸子の顔を見る。

「修ちゃん」
そう言って、幸子はバッグから銀行の封筒を差し出し
「早よパソコンを買い。それでな、一生懸命勉強してや」と、その封筒を修介の手に握らせた。
中身は三十万円である。

幸子は、就職してから毎月、一万円、二万円と貯金をしてきた。
その額が、最近になって三十万円を越し、ささやかな満足をしたばかりだった。
だが、つい先日、修介からパソコンの話を聞かされ、
その翌日に彼女は銀行で貯金を引き出したのである。
惜しいとか、もったいないという気は全然起こらない。
「あと三、四ヶ月」と言った彼の曇った表情が忘れられなかったからだ。

「何や、これ」
「何でもええやん」
「ひょっとしたら、お金か」
修介は、その封筒を開けようとする。
「中身は、見やんといて。そやけど、頑張ってな」
そのときの修介の顔。幸子は、一生の宝物だと思った。

あのあと、修介は「幸ちゃん、お前の大事なお金やろ。俺は、そんなもん使われへん」
「病気したら、どないすんねん」「心配せんでも、俺は頑張るから、もうちょっとだけ待っとけ」などと、
幸子の勤める和菓子店へ何回か電話をかけてきた。
幸子はその電話を受けるたびに「あほやなあ。私のことは心配せんでもええ。修ちゃんも頑張り」と、
彼がひけめを感じないように、彼女なりにあしらってきた。

「幸ちゃん、おおきに。あの『努力』という字を毎日見て頑張ってる」
修介の、その言葉を聞いただけで幸子は満足したのだった。
それからしばらくして、修介と会ったとき、彼は、パソコンのお陰で、
朝から晩まで囲碁の研究に明け暮れていると話していた。
その説明を聞いても、幸子には理解できなかったが、
彼のひたむきな言葉遣いに(あのお金が役に立ってよかった)と、つくづく思う。

この三年間、修介とほとんど顔を合わすことがなかった。
しかし、彼が囲碁の世界に没頭し、その才能を大きく育てているらしいことは、
たまにかかってくる電話での、彼の控えめな言葉の中にも窺えた。
幸子は新聞を購読していなかったし、まして囲碁欄や、関連のニュースなどを読む機会もなかった
ので、彼が躍進を繰り返し、囲碁界で最も注目を集めている棋士だということを知らないままだった。
さらに、対局料のほかにも多くの収入が増え、今回の帝王位の賞金が彼女が想像もできない莫大な
金額だということも知らない。

アパートの玄関まで帰ってきて、幸子は夜空を見上げた。
桜の花びらを見つけることはできなかったが、春の淡い月を見ているうちに、ふと涙が溢れ出てきた。
「修ちゃん、私のこと忘れんといてな」
幸子は、その月に祈った。
部屋に戻って、鍵を閉め小さなテーブルの前に座ると、歩き続けた疲れを感じる。

質素な部屋の中は、綺麗に整頓されていた。
その見慣れた景色が、寒々とした侘しさを滲み出している。
幸子は溜息をつき、そして「あーあ」と、もう一度溜息をついた。

ホテルで受け取った土産の紙袋をテーブルの上に乗せ、中身を取り出してみた。
高級そうなケーキの詰め合わせとワインが入っていた。それと、袋の底に紅白の熨斗袋があった。
「私になんか、こんなお土産は要らんのに。扇子を使うのにはまだ寒いしなあ」
幸子は、誰もいない部屋で声を出し、薄い笑顔になる。

ずいぶんと久しぶりに修介の顔を見たのに、幸子には喜びが残されていない。
言葉を交わすこともできなかった。
あんなに大勢の人がいたのに、彼女は一人ぼっちで、遠い距離から彼の姿を見ていただけだった。
それでよかった、彼の立派な姿を見られたから、と自分に言い聞かせたものの、
今の寂しさと辛さは誤魔化せない。

幸子は立ち上がり、熱いお茶を飲もうとして、ポットで湯を沸かし始めたあと、再びテーブルに戻って
、紅白の熨斗袋を手に取った。
囲碁ファンにはおなじみの熨斗袋だが、幸子が見るのは初めてだった。
「おめでたい縁起ものなんやろなあ」
袋を開くと、やや大きめの白扇が出てきた。銀色の留め紙を外して、幸子はその白扇を開いた。
黒い墨文字が目に入る。
その瞬間、幸子の目からみるみるうちに涙が溢れ出てきた。
「修ちゃん、修ちゃん…」
白扇には、修介の癖のある字体で「僕のお嫁さんになってください」と書かれていたのである。

                                                        (了)

作家 津島稜