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「チキンラーメン」と「おばちゃん」

戦後間もないころ、私はまだ小学生だった。白黒テレビがようやく普及し始め、レスリング中継があると、
テレビのある家に近所の大人も子どももその家に押しかけるような時代だった。

私も、テレビのある家に押しかけたクチだったが、日本の復興は目ざましく、数年も経たないうちに、
裕福とは言えない私の家にも白黒テレビが登場していた。
今でも、あのころテレビの前に座ったまま動かずに見ていた番組が懐かしく思い出される。

私は一人っ子で、そのテレビのある家の子も一人っ子だった。
小学校から中学校も同じクラスで、家が近かったせいもあり、自然と仲良しになった。
その家は私の家庭よりはるかに裕福で、しょっちゅうその家に行き、二人で遊び、そしておやつを
ご馳走になったものだ。

そんな或る日、私はいつものようにその友だちの家に遊びに行き、そこで思いがけない経験をした。
それは「チキンラーメン」を初めて口にしたことだ。
名前ぐらいは耳にしたことがあっても、即席ラーメンは一般家庭では珍しい時代で、鉢に熱湯を
注いだだけで差し出されたそのラーメンの味は、大袈裟でなく私には衝撃だった。
そのことを母親に話すと「即席ラーメンなんか食べんでもよろし」とニベもなくあしらわれてがっかり
させられた。

その友だちの母親を私は「おばちゃん」と呼び、母親と同様に、あるいはそれ以上になついて中学生、
高校生になってもいろいろと面倒をかけ、また「おばちゃん」も息子と別けへだてをすることなく私を
可愛がってくれた。

「おばちゃん」は包装資材会社の社長夫人で、その会社はやがて関西の業界でトップクラスの企業に
成長していった。「おばちゃん」の夫、つまり社長も磊落な人柄で、華美な生活や贅沢を好まず、
私の友人たちも自宅に招いてくれ、若者たちとともに過す時間が楽しかったようだ。

その自宅の裏に社員寮を建て、十数人の若手社員が寝泊りをしていた。
「おばちゃん」は社長夫人であるにも拘わらず、社員たちの食事を作り、それどころか掃除や社員の
下着まで洗濯をしてくれた。今も多くの社員の思い出話には必ず出てくる定番エピソードだ。

そんな「おばちゃん」が先日亡くなった。享年九十歳。大往生と言えるだろう。
最後までおおらかで、現社長(あの一人っ子)や社員のことを愛し続けた人、嫌味なところが微塵も無く、
些細なことに拘らない素晴らしい女性だった。

その「おばちゃん」の名は和田愛子。最後までシンワ株式会社の取締役を務めた人物である。
心からご冥福をお祈りする。

作家 津島稜